以下、上記配信記事より。
首相官邸で行われる内閣記者会見について、官邸側は、鋭い質問を行う東京新聞の望月衣塑子記者に対し、2017年9月から今年1月にかけ、9回も同紙に対し「申し入れ」というかたちで、同記者の質問を「問題行為」として封じ込めようとしていたことが、今月20日に掲載された東京新聞による検証記事によって明らかになった。
官邸側が「従順」でない記者を黙らそうと「恫喝」するかたちで、とりわけ昨年6月、官邸側が東京新聞に「記者が国民の代表とする根拠を示せ」と要求していたことは、憲法や民主主義における報道の役割を否定するもので、まるで独裁国家のような暴挙だ。
◯東京新聞への「恫喝」
東京新聞の検証記事*によると、森友学園に対する国有地払い下げを巡る決裁文書の改ざん問題で、同紙の望月記者が昨年6月、財務省と近畿財務局との協議に関し「メモがあるかどうかの調査をしていただきたい」と述べると、官邸側から、長谷川榮一・内閣広報官の署名で「記者会見は官房長官に要請できる場と考えるか」と問いただす文書が、東京新聞へ送られてきたという。これに対し、同紙が「記者は国民の代表として質問に臨んでいる。メモの存否は多くの国民の関心事である」と回答すると、官邸側は「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員。貴社は民間企業」と反論。記者を国民の代表とする根拠を求めてきたのだという。
*検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2019/kanbou-kaiken/list/19022001.html
◯記者が「国民の代表」である理由
なぜ、記者は国民の代表として質問する立場にあるのか。東京新聞側が官邸側に回答したように、その根拠は日本国憲法第21条(表現の自由)にある。人々が表現、つまり、政治や社会に対する意見表明をするにしても、重要な情報が隠蔽され知ることができなければ、意見表明することは難しい。だからこそ、憲法第21条は人々の「知る権利」を保証するのだ。そして、報道がその「知る権利」を保証するものであり、「報道の自由」が最大限保障されるべきことは、もはや異説は無い。総務省も「報道の自由」の根拠について、度々、最高裁判決(昭和44年11月26日)を引用、「報道の自由」の重要性を認めている。
"報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない”
出典:最高裁判決(昭和44年11月26日)及び総務省ウェブサイト
◯「恫喝」追認した菅官房長官
人々の「知る権利」及び、それを担保する「報道の自由」が保証されることは、国民主権の民主主義社会に絶対に必要不可欠だ。そのような、民主主義および憲法の基本の「き」すらも理解していない、或いは否定するかのような官邸側の「恫喝」は、行政を担う者として、断じて許されない暴挙だ。このような「恫喝」は、政治思想の左右にかかわらず、最低限の教養・良識があれば、とても主張できないはずだが、菅義偉・内閣官房長官は、今月20日午後の会見で東京新聞の検証記事に対し、「個人的には違和感を覚えるところもある」と発言するなど、官邸側の「恫喝」を正当化した。
◯菅官房長官、長谷川内閣広報官、上村報道室長は辞任すべき
報道への「恫喝」が横行し、人々の知る権利が脅かされるとしたら、それは民主主義国家の土台が根本から崩壊することになる。本件は、望月記者個人や東京新聞だけではなく、報道関係者全体として、また一般の市民も主権者として、立場や主義主張を超えて、官邸側の暴挙を猛批判すべきことだろう。さらに言えば、憲法や民主主義への冒涜を平然と行うような者は、政治に関わる資格はない。菅官房長官及び長谷川内閣広報官、そして望月記者への執拗な質問妨害及び官邸記者クラブに圧力をかけた上村秀紀・官邸報道室長は、即刻辞任すべきだ。
(了)